ジャパリパーク管理センター休憩室

けものフレンズ二次創作サークル「ジャパリパーク管理センター」のブログです。

価値のない肯定、価値のある否定

代表のNNです。

久しぶりにまた大きな釣り針を垂らしに来たので、釣られたい方はどうぞご自由に釣られて下さい。

今回の議題は「ぱびりおんの導入部に挟まる謎の演出は必要だったのか?」です。

結論から言えば、あんなものは無い方がよかった、というのが私の考えです。

何故そう思うのか、説明していきましょう。

そもそも『けものフレンズぱびりおん』という作品は、けものフレンズ公式作品群の中での所謂『時間軸(その作品が、シリーズ全体の中でどの位置にあるものなのか)』が不明な作品です。

まして作品の内容自体は、「ランダムに出現するアニマルガール達を観察するゲーム」です。

そんな作品の冒頭に、なんだか穏やかではないあの演出が入る訳です。

一応載せておきますね。

https://youtu.be/ojOWv9GN_mA

けものフレンズシリーズは、作中では深掘りされないシリアスな裏設定が所々で匂わされるのも、大きな魅力の一つとして認識されているかと思います。

であるならば、あの演出は「けものフレンズらしさを出す上で必要だったのでは?」と考える方も居るでしょう。

その上でもう一度言いましょう。

無い方がよかった。

まず第一に、その内容。

公式の裏設定を真剣に追っている人達ならお馴染みの『カコ博士』と、その他のパーク職員と思われる何人かの会話が繰り広げられます。

話の内容をざっくりまとめると、どうやらセルリアンが『アトラクションエリア』という場所を襲ってきたので、その対応に追われているようです。

会話の中で、カコ博士と思われる人物の声が「パビリオンのLBを起動しておいて!」という指示を飛ばします。

襲われているのはアトラクションエリアという場所なのに、何故パビリオンなのか?

まあ普通に考えれば、『アトラクションエリア』という場所は、パビリオンという施設の一区画の名前なのだろうと、点と点を結び付けていけますね。

『LB』というのは、ラッキービーストの略称というのが正解なのでしょう。

…と、この辺りは問題なく点と点を結び付けていけるかと思います。

が。

じゃあそもそもこれ、どの時間軸に当たるの?って話です。

映像では、旧アプリ版ラスボスとしてお馴染みの、セルリアンの女王の姿がちらっと映ります

おまけに、何故か肌の色が肌色のセーバルが。

セルリアンの女王が映るだけなら、旧アプリ版メインストーリーの前日譚になるのかな?と考えられますが…。

肌の色が肌色のセーバルなんていう存在は、旧アプリ版において存在しません。

おまけに、旧アプリ版の内容を思い出してみて下さい。

セルリアンの女王は、カコ博士から『輝き』を奪ったであろう個体が、他にも沢山の『輝き』を手に入れて形作ったもの、と話されていましたね。

カコ博士が元気に現場で働いているのに、セルリアンの女王が映るのは矛盾が生じていませんか?

…仮に、映像に映るものが「その場に現れたものという訳ではなく、これまでに確認されたセルリアンのデータベースのようなものを閲覧していた」とかだとしましょう。

じゃあ、肌の色が肌色になっているセーバルはなんなのか?

…どうでしょう?

少なくとも、自然な形で点と点が結び付かないのです。

勿論、『けものフレンズぱびりおん』の作中にも、その他の公式作品にも、この孤立してしまった点を結び付けられる点は、今もなお存在しません。

私に言わせれば、これはあまりにも下手くそな演出です。

…私の大好きな作品に、こういう演出の仕方を多用している『アーマードコア』というゲームがあります。

名前や評判をちらっと聞いたことのある人も多いでしょう。

アーマードコアのお話作りの凄い所は、そういう演出を多用しながらも、一つ一つの要素をしっかりと考えていく事で、ほぼ全ての点と点が結び付くように『導線』がきっちりと引かれている所なのです。

それに対して、ぱびりおんのこの演出には『導線』が引かれていなさすぎるんです。

「ただ点をいっぱい打っておけば、そういうのが好きな層は満足するんだろう?」っていう浅はかな考えで作られているんだろうな、と言われてもおかしくないくらいに雑なのです。

ぶっちゃけた話、私はそう認識しています。

こんな雑なものを用意するくらいなら、はじめから不穏な要素なんて何一つない、けものフレンズのまったりした面を押し出した作品として出すべきだったのでは?と。

漫画版のような先駆者も居ますし、恐らくけものフレンズのファンの大半は、そういう面を重視している層だとも思います。

その点においては、『けものフレンズFESTIVAL』の方が上手くやっているように感じますね。

全部で10個ある要素を、10個出し切る必要なんてないのです。

むしろ、それは悪手です。

10のうち6、7個くらいを表に出して、残り3、4個は導線を丁寧に引きつつ匂わせる。

魅力的な作品とは、そういうものではないでしょうか。

ので、『けものフレンズぱびりおん』という作品は、あえて酷い言い方をすると「開発陣が『けものフレンズ』を使いこなせなかった、雑で下手くそな失敗作」という認識です。

…『けものフレンズ2』が発表されて、色々と荒れているみたいですが。

一つだけ、私から言わせて下さい。

否定意見とは、確かに受け入れがたいものです。

ですが、なんでもかんでも肯定するという姿勢は、果たして健全なのでしょうか?

確かに、否定意見の大半は中身の無い、ただの荒しやその便乗犯が多いでしょう。

ですが、肯定意見の中にもそういう輩が紛れていないとは、誰も言ってませんよね?

否定は聞かない、肯定は聞く、ではなく。

その人の言葉にちゃんと中身があるか。

筋の通った意見を述べているか。

「アクシデントは、ばっくりと大きな口を開けて、いつでもお前を待っている」

私の好きな漫画『湾岸ミッドナイト』にある台詞です。

表面的なものに流されないよう、どうか気を付けて下さい。

それでは、また。