架空の存在は架空の存在である事に何を想うのか
代表のNNです。
遅くなりましたが…ミッシングけもリンク第1.1部、楽しんで貰えたでしょうか?
まだの方はこちらからどうぞ。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9190365
今回は、現在製作を進めている第1.1~1.4部、ひいてはシリーズ全体に、私がお話の根幹として多大なリスペクトをしている作品『Chaos;Child』と、それを含む『科学ADVシリーズ』についてちょいちょい書こうかなと。
…あんまり詳しくないイラスト担当から詳細キボンヌと言われてしまった、というのもありますが。
科学ADVシリーズは、はっきり言ってネタバレを食らったヒトとそうでないヒトでは、感じる面白さが確実に変わります。
今後遊ぶ予定がある方は、すぐにブラウザバックしましょう。
シリーズ一作目『Chaos;HEAd(以下カオヘ)』と四作目『Chaos;Child(以下カオチャ)』は、両方とも『妄想科学ADV』というジャンルで括られ、共に渋谷を舞台とし、ある共通の要素を持った作品です。
簡単に言えば、カオヘの続編がカオチャ、という関係性です。
妄想科学ADVでは、自身の妄想を現実に投影する能力者『ギガロマニアックス』が、主人公、ヒロイン達、黒幕といった重要な登場人物として出てきます。
そして、カオヘでもカオチャでも、物語において非常に重要な鍵になるのは、ギガロマニアックスが自身の能力で生み出した『人物』。
そう、彼らの能力は、人間一人を無から生み出す事さえ出来てしまうのです。
ただ、重要なのは、生み出せる事よりも、生み出されてしまった『そのヒト』。
カオヘでは、主人公が。
カオチャでは、メインヒロインが、そういう立場になっています。
カオヘにおいては、これまで黒幕だと思っていた存在が、実は主人公を生み出した本物の主人公であり、能力を使いすぎた代償によって思うように動けない自分の代わりに、本当の黒幕を倒してもらう為に主人公を生み出した、という経緯が語られます。
主人公は、自身が妄想の存在である事、偽物である事、勝手に預かり知らぬ重責を背負わされた事を知り、それでも葛藤の末、メインヒロインを助けたいという想い一つで、その全てを受け入れ、ハッピーエンドを掴み取りました。
カオヘのTRUEエンドは本当に大団円っていう感じで、凄く好きです。
…一方、カオチャ。
そもそも、カオチャがカオヘの『続編』である定義は、プレイ前とプレイ後で、その認識が大きく変わってしまいます。
カオヘの終盤、ある出来事によって、渋谷が局所的な大地震に襲われます。
その渋谷地震から、ある程度の復興が進んだ時代が、カオチャの舞台になるのです。
登場人物も一新されており、当時カオヘを既に遊んでいた私は「渋谷とギガロマニアックスという共通の要素だけを使った実質的な新作」という認識で、カオチャを遊び始めました。
しかし。
実際の所、カオチャという作品は、カオヘの渋谷地震によって引き起こされた、予想だにしなかった『二次災害』の被害者達と、それを巡る『後始末』のお話でした。
カオチャは、カオヘと違い、ハッピーエンドで終わる作品ではありません。
真実とは、残酷で、受け入れ難いもの。
カオチャにおけるTRUEは、まさにそういうものでした。
カオチャの主人公は、自身が誰とも違う『特別』な存在である、ありたいという強い願望を持っています。
そんな彼は、幼い頃、過酷な境遇の中で『イマジナリーフレンド』を生み出し、その子を心の支えにして生きていました。
イマジナリーフレンドは、簡単に言えば脳内彼女とか、そんな感じのものです。詳しく知りたい方は調べてみましょう。
そして彼は、渋谷地震の『二次災害』によって、ギガロマニアックスとして覚醒し、そのイマジナリーフレンドを現実に投影してしまいます。
それこそが、カオチャのメインヒロインなのです。
彼女は、主人公が持つ『特別でありたい』という願望を叶える存在として、現実の世界に現れました。
元々主人公のイマジナリーフレンドであった彼女は、主人公が幼い頃に憧れた、渋谷で起きた連続猟奇事件を解決に導いた青年(カオヘの主人公)こそが、主人公の望む『特別』であると考えます。
…そして、物語が始まる時代、カオチャの主人公がカオヘの主人公と同じように高校生になった頃、ついに彼女は動き始めてしまいます。
全ては、主人公の為。
しかし、新たに起き始めた連続猟奇事件は、次第に主人公の近しい人すらも巻き込んでいきます。
彼女は、主人公に『特別』になってもらう為の『ゲーム』に、私情を挟むようになっていました。
自身がイマジナリーフレンドだった頃は、主人公には自分だけしか縋るものがなく、彼女は主人公にとって間違いなく『特別』でした。
しかし、渋谷地震後、主人公は引き取られた孤児院の子達と打ち解けたりと、少しずつ人間関係を広げていきました。
彼女には、それが主人公にとっての彼女の価値が『特別』ではなくなる事に繋がる、と見えてしまったのです。
だからこそ彼女は、主人公を『特別』にする為、自身が主人公にとっての『特別』であり続ける為、暴走を続けます。
終盤、全てを知った主人公は、彼女から自分に関わる全ての記憶を奪い、『普通の女の子』として、彼女を作り変えます。
そして、彼女をそんな風に生み出してしまった事、彼女にこれまでの事件を起こさせてしまった事、その全てを背負って、主人公は一連の事件の真犯人として、逮捕される道を選びます。
…カオチャは、ハッピーエンドで終わる物語ではありません。
それでも、最終的には正義だの何だのではなく、かつて憧れたカオヘの主人公のように『自分のやりたい事』を押し通した主人公と、その気持ちを汲み取って、前に進み始めたヒロインや脇役達、『知らない人』として主人公に守られ、普通の女の子として生きるメインヒロイン。
本当に、心にぽっかりと穴が空いてしまうような、言い様のない後味が残り続ける、素晴らしい作品です。
ミッシングけもリンクにおいて、サンドスター由来で生まれたものは全て、感情が作用している割合が強いという裏設定があります。
アニマルガール達の根本的な優しさは、そういうものを求めたヒト達の想いを反映してるんじゃないかなって思ってたり。
アプリ版において妙になつかれやすい園長は、園長自身の優しさもありつつ、アニマルガールという存在自体が『動物がよりヒトに寄り添える形』として、サンドスターが生み出したからなのかな、とか。
逆にセルリアンとかセルリウムは、ヒトの破滅願望とかを汲み取ったものなんだろうなって。
例の異変は起きるべくして起きた。
それを願ったのは他でもない、ヒト自身。
救われない話ですが、救えちゃったのが第三部です。
ミッシングけもリンクという作品は、「例の異変がセルリアンによる世界規模の大災害だった」という前提で、その爪痕が深く刻まれた世界で、新たに生まれたアニマルガール達によって復興していくジャパリパークと、残された前世代の子達の心の傷を描く物語、という面があります。
…こういう風に書き出してみると、確かにカオチャをリスペクトしてるなっていう感じがしますね。
第1.1~1.4部も、やはりそういうお話になっていきます。
何故キョウシュウエリアの外では、アニマルガール同士による衝突が多いのか。
何故ホッカイエリアの子達は、他のエリアの子達を襲うのか。
何故キョウシュウエリアの外の子達は、ここまで文明レベルがヒトに近付いているのか。
大絶賛を貰えた、第一~三部の間を埋める物語。
お楽しみに。